若狭町村学校所跡
歴史
琉球王府時代の役場・学校跡。琉球と諸外国との交渉や条約締結が行われた場所でもある。
基本情報
- フリガナ
- ワカサマチムラガッコウジョアト
- 所在地
- 900-0031 沖縄県那覇市松山1-30 付近個人宅
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- なし
- アクセス
- モノレール県庁前駅下車徒歩10分、久米郵便局前バス停より徒歩2分
付随情報
- 学術的詳細
- 琉球王府時代の若狭町村の学校所および役所跡。創建年は不明だが、1830~40年頃と推定される。村学校所は、士族子弟の初~中級の教育機関で、首里・那覇等の各村毎に建てられた。総数は首里14、那覇6、泊1の計21校となっていた。士族の子弟は7~8才で入学し、14~15才までの間、勉強した。教科は三字経(さんじきょう)の読み書きから、二十四孝(にじゅうしこう)、小学(しょうがく)、四書(ししょ)へと進んだ。廃藩時の同校には教師(講談師匠(こうだんししょう))1人、生徒82名がいた。各村学校は役所も兼ねており、中取(なかどり)1人、筆者2人がいた。王府末期、異国船渡来に際しては、異国人に対し、泊村や若狭町村の学校所が、泊公館、那覇公館として応対窓口となった。特に那覇公館(若狭町村学校所)はペリー等と王府高官との諸交渉が行われた現場で、琉米条約(りゅうべいじょうやく)の他、琉仏(りゅうぶつ)・琉蘭(りゅうらん)条約が締結された。なお、現在同地に祀られている夷堂(えびすどう)は、戦後の区画整理で近くから移したものである。
- 情報引用元
- 那覇市歴史博物館