中山門跡
歴史
中山門は王都首里の第一の坊門で綾門大道(アイジョーウフミチ)の西端に建っていた。別名「下の綾門(シムヌアイジョー)」、「下の鳥居(シムントゥイ)」。1879年の廃藩置県後、老朽化が進み、1908年5月払い下げられ、撤去された。
基本情報
- フリガナ
- チュウザンモンアト
- 所在地
- 903-0825 沖縄県那覇市首里山川町1-54 付近首里琉染前
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- なし
- アクセス
- 山川バス停より徒歩3分
付随情報
- 学術的詳細
- 中山門は王都首里の第一の坊門で綾門大道(アイジョーウフミチ)の西端に建っていた。別名「下の綾門(シムヌアイジョー)」、「下の鳥居(シムントゥイ)」。
1428年創建とされ、当初は建国門と呼ばれていた。中国の牌楼式の門で、1681年に板葺(ばんしゅう)から瓦葺(がしゅう)に改められた。中山門の名は、尚巴志王の冊封使柴山(1425年来琉)が献じた「中山」の文字を、後に扁額に仕立て掲げたことによる。1959年に復元された守礼門と同型同大。
1879年の廃藩置県後、老朽化が進み、1908年5月払い下げられ、撤去された。 - 情報引用元
- 那覇市歴史博物館