高所跡
歴史
琉球国内の新開田畑の石高や貢船の貨物などに関する事務を扱う首里王府の役所跡。
基本情報
- フリガナ
- タカジョアト
- 所在地
- 903-0812 沖縄県那覇市首里当蔵1-4 付近
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- なし
- アクセス
- 龍潭通り当蔵バス停より徒歩2分
付随情報
- 学術的詳細
- 琉球国内の新開田畑の石高や貢船の貨物などに関する事務を扱う首里王府の役所跡。
高所は1669年創設。「算用座(さんようざ)」(王府の役所、1732年「勘定座(かんじょうざ)」に解消)の事務の一部を引継ぎ、国内の田畑から上がる収穫量など石高にかかる事務や地方を廻って農民の労働状況などを視察した。さらに中国・日本への貢船の出入国の際の検査や貨物の点検などを行った。1766年高所の事務量が多いとの理由で、「田地方(でんちほう)」を新設して農事に関する事務を分離した。
高所が置かれた一帯は、かつて「池上院(ちじょういん)」と称する臨済宗の隠居寺があったといわれ、1669年に御用地とされた。その後一帯には王府の諸座・諸蔵(役所)が置かれ、貝摺奉行所(1745年)、龍潭側に国学(1801年)、孔子廟(こうしびょう)(1837年)などが設置された。
1879年(明治12)の琉球処分により高所は廃され、跡地には1886年(明治19)、那覇に置かれた沖縄県師範学校が新築移転した。1945年(昭和20)の沖縄戦により師範学校は消滅。1950年(昭和25)琉球大学男子学生寮が置かれ、琉大移転後の1986年(昭和61)に沖縄県立芸術大学が開学した。 - 情報引用元
- 那覇市歴史博物館