慶良間チージ
歴史
沖縄戦の激戦地。字安里(あさと)の北に位置する丘陵地帯に築かれた日本軍の陣地の一つ。日本軍は「すりばち丘」、米軍は「シュガーローフ」と呼んだ。一帯の丘陵地は日本軍の首里防衛の西の要衝(ようしょう)で、米第6海兵師団と激しい攻防戦が展開された。
基本情報
- フリガナ
- キラマチージ
- 所在地
- 900-0006 沖縄県那覇市おもろまち1-6安里配水池公園内
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- なし
- アクセス
- ゆいレールおもろまち駅から徒歩約8分
付随情報
- 学術的詳細
- 沖縄戦の激戦地。字安里(あさと)の北に位置する丘陵地帯に築かれた日本軍の陣地の一つ。日本軍は「すりばち丘」、米軍は「シュガーローフ」と呼んだ。一帯の丘陵地は日本軍の首里防衛の西の要衝(ようしょう)で、米第6海兵師団と激しい攻防戦が展開された。
とくにここ慶良間チージの攻防は、1945年5月12日から1週間に及び、1日のうち4度も頂上の争奪戦がくりかえされるという激戦の末、18日に至り米軍が制圧した。米軍は死者2,662人と1,289人の極度の精神疲労者を出し、日本軍も学徒隊・住民を含め多数の死傷者を出した。
それ以来、米軍は首里への攻勢を強め、5月27日、首里の第32軍司令部は南部へ撤退した。沖縄戦は、首里攻防戦で事実上決着していたが、多くの住人をまきこんだ南部戦線の悲劇は6月末まで続いた。