観光スポット

真玉橋

史跡歴史

第二尚氏第三代国王尚真の時代に建設され、川の氾濫や沖縄戦で何度も破損、破壊が繰り返された那覇市と豊見城市を繋ぐ交通の要路。

基本情報

フリガナ
マダンバシ
所在地
900-0024 沖縄県那覇市古波蔵4-14 付近三角地帯にある移設石橋跡
営業時間
特になし
休日
特になし
料金
無料
駐車場
なし
アクセス
県道507号線を那覇から与那原向け、真玉橋(北)交差点右手。

付随情報

学術的詳細
真玉橋は1522年(嘉靖元)に首里城並びに軍事的要所である那覇港及び那覇を防御することを目的として、第二尚氏第三代国王尚真の時代に架けられた橋である。また、琉球王府時代には首里と島尻地方を結ぶ交通の要でもあった。当初、真玉橋は五連橋の木橋であり、中央を真玉橋、南側に世持橋、北側に世寄橋、両端は名前のない橋であった。1707年(康熙46)に木橋から石橋への改築工事が開始され、翌年には完成した。1809年(嘉慶14)に大雨のため川が氾濫し、世寄橋が破損したために仮の木橋が架けられましたが、大雨により再び破壊された。その後、1836年(道光16)に世寄橋を改築し、その北側に新たな橋の世済橋を築き工事は翌年に終了したといわれている。この二度にわたる改修工事を伝える記録として『重修真玉橋碑文』がある。碑文の裏面には改修工事にかかった費用や人夫数などが記されており、当時の大工事の様子がうかがえる。真玉橋は、大きく美しい曲線の5つのアーチが連なり、脚部には、川の流れによる水圧を弱めるためにスーチリ一(潮切り)が設けられ、構造的にも景観的にも、沖縄独特の石造文化を代表する橋だったが、1945年(昭和20)の沖縄戦で破壊されてしまった。
1996年(平成8)には戦後つくられた橋の改修工事に伴う発掘調査によって、戦前の真玉橋が豊見城市側と那覇市側の双方で姿を現した。沖縄戦によって県内では数多くの文化遺産が失われた。しかし、戦後半世紀を過ぎて再び「真玉橋の石橋」が私達にその風格ある姿を現したことによって、当時の石工技術の高さを見ることができ、これまではその姿を写真等でしか見ることができなかったが、実際に「視覚」で確認される貴重な文化遺産としての価値が再認識された。このようなことから後世のためにも現地保存し、復元・活用できるようにと1997年(平成9)「真玉橋の石橋遺構現地保存推進協議会」が発足し、署名活動等、保存に向けた住民運動が展開された。
その後、学識経験者等で構成する「真玉橋検討委員会」が発足し、「真玉橋」の保存方法について議論された。その結果豊見城市側の橋は一部埋め戻し保存、一部移設保存という二つの保存方法を決定し,その遺構を保存している。「石橋」の二度にわたる改修工事を記念して1837年(道光17)に建てられた「重修真玉橋碑文」は、「石橋」同様に沖縄戦によって破壊されました。その残存資料は1995年(平成7)に市有形文化財に指定され、現在は豊見城市歴史民俗資料展示室に展示されている。
真玉橋自治会では1980年(昭和55)に沖縄戦によって失われた碑文を現公民館前に復元し、「石橋」の存在を後世に伝えるなどの活動を積極的に展開してきた。
情報引用元
案内板より引用