茶湯崎橋跡
歴史
茶湯崎橋は、旧茶湯崎村(那覇市松川)を流れる真嘉比川に架けられ、王国時代から昭和期にかけて首里・那覇を結ぶ重要な橋であった。橋の創建年は不明だが、1674年木橋から石橋に架け替えられている。
基本情報
- フリガナ
- チャナザチバシアト
- 所在地
- 902-0062 沖縄県那覇市松川2-13-20 付近
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- なし
- アクセス
- 坂下琉生病院前バス停下車徒歩3分
付随情報
- 学術的詳細
- 茶湯崎橋は、旧茶湯崎村(那覇市松川)を流れる真嘉比川に架けられ、王国時代から昭和期にかけて首里・那覇を結ぶ重要な橋であった。橋の創建年は不明だが、1674年木橋から石橋に架け替えられている。かつてこの辺りまで船が遡(さかのぼ)ってきたといわれ、18世紀の政治家蔡温(さいおん)はその著作『独物語(ひとりものがたり)』で、「茶湯崎に湊(みなと)を造れば、交通の便が良くなり、さらに商船がやってきてこの地で交易ができる。そうなれば首里に住む人々の生活も良くなる。」(原漢文)と述べている。
また、この付近は妖精伝承があったため、1519年日本僧の日秀上人(にっしゅうしょうにん)が橋の北側に碑を建立した。この碑は梵字が刻まれていたため、「文字も故事も判らない松川の碑文(ムジンクジンワカランマチガーヌヒムン)」といわれ明治期まで残っていたが、道路整備のため撤去され現存しない。
沖縄戦(1945年)の後、道路整備に伴い、茶湯崎橋の道は旧道となり、橋の北側を走っていた電車軌道跡(1933年廃止)が新たな県道となった。さらに川筋も変えられたため、橋の位置も移動している。なお、王国時代、茶湯崎村付近には「指帰橋(サンケーシバシ)」という橋も架けられていたが、その架設場所は不明。現在の「指帰橋(さしがえしばし)」は名称を受け継いだものである。 - 情報引用元
- 那覇市歴史博物館