与那原良矩生家跡
歴史
琉球王国時代の三司官(さんしかん)与那原良矩の生家跡。
基本情報
- フリガナ
- ヨナバルリョウクセイカアト
- 所在地
- 903-0821 沖縄県那覇市首里儀保町3-14 付近
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- なし
- アクセス
- ゆいレール儀保駅を北口からおりると駅の下、道沿いに案内版がある。
付随情報
- 学術的詳細
- 琉球王国時代の三司官(さんしかん)与那原良矩の生家跡。
与那原家は馬良詮大浦添親方良憲(ばりょうせんウフおやかたりょうけん)を始祖とする馬氏小禄殿内(ばうじおろくドゥンチ)の分家で、大里間切(現南城市大里)を領有する総地頭家。与那原良矩のほか、王国時代末期の三司官与那原良恭(りょうきょう)・良傑(りょうけつ)親子など9人もの三司宮を輩出した名家であつた。
与那原は1718年生まれ、唐名(からな)(中国名)を馬国器(ばこっき)という。1762年進貢正使として中国へ赴き、1765年その報告として鹿児島(かごしま)へ上国している。1769年三司官に就任、1796年に辞任するまで28年間務めた。この間王国の刑律典『琉球科律(りゅうきゅうかりつ)』の編さんなどにも携わった。
道徳を重んじた人といわれ、教訓的な琉歌を数多く残し、後に「君子親方(くんしウェーカタ)」と称された。また、和文学にもすぐれ、沖縄三十六歌仙の一人に数えられている。1797年死去、享年80才。 - 情報引用元
- 那覇市歴史博物館