金城村学校所跡
歴史
琉球王国時代の首里金城村の学校所及び役所跡。
基本情報
- フリガナ
- カナグスクムラガッコウジョアト
- 所在地
- 903-0815 沖縄県那覇市首里金城町1-21 付近
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- なし
- アクセス
- 石畳入り口バス停近く
付随情報
- 学術的詳細
- 琉球王国時代の首里金城村の学校所及び役所跡。
村学校所は士族子弟の教育機関で、首里・那覇などの各村ごとに建てられた。士族の子弟は7~8才で入学し、元服する14~15才まで「三字経(さんじきょう)」の読み書きから「論語(ろんご)」・「孟子(もうし)」などの四書を学んだ。金城村学校所は1835年創立といわれ、「訓蒙館(くんもうかん)」と名付けられた。王国末期には136人の生徒が在学した。学校所には「中取(なかどり)」・「筆者(ひっしゃ)」といった王府役人も詰め、村の風俗・衛生を取り締まるなど、役所の機能も有した。
1879年(明治12)の琉球処分後は、学校所は廃止され村の共有地となったが、その後個人に払い下げられた。 - 情報引用元
- 那覇市歴史博物館