儀保殿内跡
歴史
琉球王国時代の高級女神官の一人「儀保大阿母志良礼(ジーブウフアンシタリ)」の神殿及び住居跡。
基本情報
- フリガナ
- ジーブドゥンチアト
- 所在地
- 903-0806 沖縄県那覇市首里汀良町2-22-1 付近汀良バス停横マンション角
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- なし
- アクセス
- ゆいレール首里駅より徒歩5分。 汀良バス停横(汀良2丁目側)
付随情報
- 学術的詳細
- 琉球王国時代の高級女神官の一人「儀保大阿母志良礼(ジーブウフアンシタリ)」の神殿及び住居跡。
尚真王代(1477~1526年)、琉球王国の神女組織が整備され、最高女神官「聞得大君(きこえおおきみ)」の下に首里・真壁・儀保の3人の「大阿母志良礼(おおあむしられ)」が置かれた。3人の「大阿母志良礼」は首里の士女から選ばれ、聞得大君を補佐して国王の長寿・国の繁栄・五穀豊穣・航海安全を祈願するほか、琉球国中の御嶽・神女を3分割して所管した。「儀保大阿母志良礼(ジーブウフアンシタリ)」は、首里の西之平等(ニシヌヒラ)(現汀良・儀保・赤平・久場川町地域)を始め、浦添・西原間切や慶良間・粟国・渡名喜島など12間切3島の御嶽や神女(ノロ)を管轄した。
廃藩置県(1879年)の後、首里・真壁・儀保の3つの殿内の神殿は天界寺(ティンケージ)跡の一角に移され、1つの建物にまとめられて「三殿内(ミトゥンチ)」と呼ばれた。儀保殿内は大正初期には敷地・建物ともに払い下げられ民有地となった。 - 情報引用元
- 那覇市歴史博物館