官松嶺跡
歴史
官松嶺(俗称「下(シム)ナチジナームイ」)は、万歳嶺(俗称「上 (ウィー)ナチジナームイ」、現観音堂)の西方に続く均整のとれた小高い丘で、かつては眺望の良い景勝の地であった。
基本情報
- フリガナ
- カンショウレイアト
- 所在地
- 902-0062 沖縄県那覇市松川444 付近沖縄都ホテル前バス停前
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- なし
- アクセス
- 都ホテル前バス停横
付随情報
- 学術的詳細
- 官松嶺(俗称「下(シム)ナチジナームイ」)は、万歳嶺(俗称「上 (ウィー)ナチジナームイ」、現観音堂)の西方に続く均整のとれた小高い丘で、かつては眺望の良い景勝の地であった。1497年、時の国王尚真(しょうしん)がこの丘に数千株の松の苗を植えさせ、頂上に「官松嶺記」の碑を建立。以来この丘を官松嶺と称した。その後、1914年首里・那覇間の電車開通により、官松嶺の北側斜面沿いに軌道が敷設された。沖縄戦(1945年)の後、官松嶺の頂上付近は削られて民家となり、南側にホテルが建設された。1933年に廃止された電車の軌道跡も、道路拡張の際に組み入れられ現在の県道となっている。また、沖縄戦で破壊された「官松嶺記」の碑は、残欠(上半分)が沖縄県立博物館に保存されている。なお、官松嶺の南側、ホテルの駐車場付近に、王国時代の美女伝説が残る湧泉「松川樋川(マチガーヒージャー)」がある。
- 情報引用元
- 那覇市歴史博物館