大道松原跡
歴史
大道松原(ウフドーマツバラ)は、琉球王国時代、現在の首里観音堂付近から大道(だいどう)地域にかけて続いていた見事な松並木の呼称で、旅立ちの謡として知られる「上り口説(ヌブイクドゥチ)」にも登場する景勝の地であった。
基本情報
- フリガナ
- ウフドーマツバラアト
- 所在地
- 902-0066 沖縄県那覇市大道56琉生病院側
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 特になし
- アクセス
- 那覇空港から「ゆいレール」に乗車。
安里駅にて下車。 徒歩約10分。
路線バスは 坂下琉生病院バス停にて下車。徒歩2分。
付随情報
- 学術的詳細
- 大道松原(ウフドーマツバラ)は、琉球王国時代、現在の首里観音堂付近から大道地域にかけて続いていた見事な松並木の呼称で、旅立ちの謡として知られる「上り口説(ヌブイクドゥチ)」にも登場する景勝の地であった。大道地域には「大道毛(ウフドーモー)」と呼ばれる小高い丘(掲示板背後の丘)があり、1501年、時の国王尚真(しょうしん)は尚家宗廟(そうびょう)の円覚寺(えんかくじ)修理用の材木として、この丘に松の苗一万株を植えさせ、俗に「サシカエシ松尾之碑文(マーチューヌヒムン)」といわれる碑を建立した。当時、「万歳嶺(ばんざいれい)」(現観音堂)、「官松嶺(かんしょうれい)」(現都ホテル付近)から、この「大道毛」を含む大道地域にかけて、松並木が続いていたのである。廃藩置県(1879年)の後、これらの松並木は切り倒され、1945年の沖縄戦で大道毛にあった碑も消滅。戦後、道路の拡張整備や宅地化により、この周辺は大きく様変わりしている。
- 情報引用元
- 那覇市歴史博物館