高平山
歴史自然
琉球王国時代に創作された組踊「万歳敵討(まんざいてきうち)」の舞台。組踊登場人物「高平良御鎖(タカデーラウザシ)」の屋敷があった場所と設定される。
基本情報
- フリガナ
- タカデーラヤマ
- 所在地
- 903-0803 沖縄県那覇市首里平良町1-2 付近
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- なし
- アクセス
- 環状二号線を那覇から南風原向け、儀保交差点を左入る。県道241号線を北上、平良交差点一つ手前の路地を左入る。入山口より100m。
付随情報
- 学術的詳細
- 琉球王国時代に創作された組踊「万歳敵討(まんざいてきうち)」の舞台。組踊登場人物「高平良御鎖(タカデーラウザシ)」の屋敷があった場所と設定される。
物語は、傲慢な高平良御鎖はある日、「大謝名比屋(おおじゃなのひや)」が持っていた名馬を見て望んだが、断られたため、比屋を闇討ちにした。大謝名の息子「謝名子(じゃなのシー)」と「慶雲(けいうん)」の二人は時機を伺い、高平良御鎖を討ち取るというものである。「万歳敵討」の作者田里朝直(たさとちょうちょく)(1703~1773年)は、組踊創始者玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)、平敷屋朝敏(へしきやちょうびん)に続く人物で、「万歳敵討」とともに「義臣物語(ぎしんものがたり)」・「大城崩(ウフグスクくずれ)」を創作し、田里の組踊三番と称されている。「万歳敵討」は1756年尚穆(しょうぼく)王冊封の際、冊封使歓待のための「冊封宴」で上演されている。高平山から首里末吉町にかけての丘陵地帯は王国時代からの墓地地帯でもあり、王族が眠る「末吉陵」、王国時代の政治家羽地朝秀の墓、那覇市指定文化財「宜野湾御殿家の墓及び墓域」などがある。また首里平良町と末吉町を結ぶ道は琉球八社一つ「末吉宮」への参道で石畳が残る。末吉町側には玉城朝薫作の組踊「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」の舞台となった遍照寺(元万寿寺)跡が残っている。 - 情報引用元
- 那覇市歴史博物館