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聞得大君御殿跡

歴史

琉球王国時代の最高女神官「聞得大君加那志(チフィジンガナシ)」の神殿及び住居跡。

基本情報

フリガナ
チフィジンウドゥンアト
所在地
903-0806 沖縄県那覇市首里汀良町2-55 付近
営業時間
特になし
休日
特になし
料金
無料
駐車場
なし
アクセス
モノレール首里駅より徒歩1分。首里中学校正門横。

付随情報

学術的詳細
琉球王国時代の最高女神官「聞得大君加那志(チフィジンガナシ)」の神殿及び住居跡。
尚真王代(1477~1526年)、琉球王国の神女組織が整備され、最高位の聞得大君は国王を守護する「姉妹神」(オナリ神)として、国王の長寿・国の繁栄・五穀豊穣・航海安全を祈願した。初代聞得大君(きこえおおきみ)は尚真王の姉妹月清(げっせい)といわれ、以来王女・王母がその職につき、廃藩置県(1879年)に至るまで15代を数えた。聞得大君の就任の儀式を「御新下り(ウァーラウリ)」といい、首里城を出発して与那原・佐敷を経由し、知念間切にある聖地「斎場御嶽(セーファウタキ)」に到り、久高島遙拝などの神事を行った。
王国時代に作られた「首里古地図(しゅりこちず)」(18世紀初頭)によれば聞得大君御殿の敷地は汀志良次(ティシラジ)(現汀良町(てらちょう))・大中(ウフチュン)村(現大中町(おおなかちょう))に見られるが、最後はこの汀良の地に定められた。当時石垣に囲まれた建物の敷地面積は約2,000坪あったが、廃藩置県の後、御殿の神殿は中城御殿(ナカグスクウドゥン)(旧沖縄県立博物館敷地)に移され、敷地・建物は明治中期以降払い下げられ個人の畑地となった。1929年(昭和4)沖縄県立師範学校がその畑地を寄宿舎用地として購入し、沖縄戦(1945年)の後は首里中学校の一部(グラウンド一帯)となった。
情報引用元
那覇市歴史博物館