宝口
歴史
那覇市首里儀保(ぎぼ)町4丁目―帯を指す地名。
地名の由来は不明だが、遺骨を宝物に例える説や真嘉比川を遡って荷物(宝)を積み卸す津口と例える説がある。一帯には1682年壼屋村(現那覇市壼屋)に統合された「宝口窯」と呼ばれる古窯があったとされる。
基本情報
- フリガナ
- タカラグチ
- 所在地
- 903-0821 沖縄県那覇市首里儀保町4-79 付近
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- なし
- アクセス
- 「ゆいレール」儀保駅より徒歩6分。
付随情報
- 学術的詳細
- 那覇市首里儀保町4丁目―帯を指す地名。
地名の由来は不明だが、遺骨を宝物に例える説や真嘉比川を遡って荷物(宝)を積み卸す津口と例える説がある。一帯には1682年壼屋村(現那覇市壼屋)に統合された「宝口窯」と呼ばれる古窯があったとされる。沖縄戦(1945年)の後、米軍の採石場、道路拡張工事のため西森(ニシムイ)から宝口に延びる丘陵が数十メートルも切り崩され、王家の墓「宝口の玉陵(タマドゥン)」や馬氏国頭親方(ばうじくにがみおやかた)の墓、儀保川(ジブガー)(井戸)などが消滅した。
宝口の地名は、整備された「宝口樋川(ヒージャー)」に名残を留めている。 - 情報引用元
- 那覇市歴史博物館