真和志間切番所跡
歴史
琉球王朝時代に真和志地区の行政を司った場所
基本情報
- フリガナ
- マワシマギリバンジョアト
- 所在地
- 902-0073 沖縄県那覇市上間1-7 付近
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- なし
- アクセス
- ゆいレール安里駅から車で約8分
付随情報
- 学術的詳細
- 琉球王朝時代から1907年(明治40年)にかけての行政単位である真和志間切の行政を管轄した番所(役所)跡。南風原(はえばる)・西原間切とともに首里王府の直轄領であった真和志間切は、当初那覇なども含む広大な間切であったが、那覇・久米村(くめむら)の独立、小録間切の分離設置などにより、王朝時代は天久・識名・国場など12ヵ村をもって構成された。間切番所は、上間村に置かれ、地頭代(ジトゥーデー)以下の間切役人が、村々の耕作状況や年貢収納などの管理・指導を行った。1879年(明治12年)の沖縄県設置後、1899年(明治32年)の沖縄県間切島吏員規定(おきなわけんまぎりしまりいんきてい)により番所は役場、間切役人は間切長・書記などと改称され、さらに1908年(明治41年)の沖縄県及島嶼町村制(おきなわけんおよびとうしょちょうそんせい)により、間切は町村となり、真和志間切は真和志村となった。真和志間切番所は、その後も間切役場・村役場庁舎として使用されていたが、1926年(大正15年)国場へ移転(現真和志支所敷地)、1957年(昭和32年)那覇市との合併で那覇市真和志支所庁舎となった。
- 情報引用元
- 那覇市歴史博物館