旧首里城守礼門
史跡
首里城には数多くの門があるが、そのなかでも一番有名なのが二千円札にも描かれているこの守礼門。1527年~55年頃に建立され国宝にも指定されたが、第二次世界大戦で焼失。現在あるのは1958年に復元されたものである。「守禮之邦」とは「礼儀を守る国」という意味。
基本情報
- フリガナ
- キュウシュリジョウシュレイモン
- 所在地
- 903-0815 沖縄県那覇市首里金城町1-2首里城公園内
- 電話番号
- 098-886-2020 首里城公園
- 営業時間
- 4月~6月/8:00~19:30
7月~9月/8:00~20:30
10月~11月/8:00~19:30
12月~3月/8:00~18:30 - 休日
- なし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- 有料駐車場あり
- アクセス
- 那覇空港から「ゆいレール」に乗車。首里駅にて下車。徒歩10分。市内線(1、17)番、市外線46番に乗車し、首里城公園入口バス停にて下車、徒歩約5分で守礼門に到着。
首里城下町線8番に乗車し、首里城前にて下車、徒歩1分で守礼門前に到着。
市内線9番・市外線25番に乗車し、山川バス停にて下車、徒歩約15分で守礼門に到着。 - URL
- http://oki-park.jp/shurijo-park/
付随情報
- バリアフリー
- 学術的詳細
- 文化財(県指定建造物)指定年月日:昭和47年5月12日
首里城歓会門(かんかいもん)の西、約80mの所にある首里城第二の坊門(ぼうもん)。守礼門のさらに西約500mの所に第一の坊門「中山門(ちゅうざんもん)」があった。中山門は「下の綾門(シチャヌアイジョウ)」や「下の鳥居(シチャヌトゥリイ)」と呼ばれ、守礼門は「上の綾門(ウェーヌアイジョウ)」、「上の鳥居(ウェーヌトゥリイ)」と呼ばれた。
創建は尚清(しょうせい)王代(1527~55年)と伝えられ、『中山世譜』には嘉靖(かせい)7(1528)年~同8(1529)年の2度に渡る冊封使派遣要請に伴って建てられたのではないかと記されている。尚永(しょうえい)王代(1573~88年)に「守禮之邦(しゅれいのくに)」の四字額がつくられ、冊封使渡来の時のみ、この扁額を掲げることが慣例とされていたが、尚質(しょうしつ)王代(1648~68年)後期ごろから常時掲げるようになった。
建築様式は、中国の牌楼(額を掲げる門)の流れを汲む装飾建築だが、守礼門は下層の屋根を中断しないで、一直線に架けてある点が独特である。柱は、稚子柱(ちごばしら)という方法で支えられ、加工した大きな安山岩で挟んである。柱の上部は、挿肘木(さしひじき)による一種の天竺様(てんじくよう)の斗組(ますぐみ)で屋根を支えている。これらは、日本建築に見られる構造である。屋根は、沖縄独特の赤瓦の本瓦葺(ほんがわらふ)きで、上下とも入母屋(いりもや)づくりとなっている。上層の軒下には「守禮之邦」の扁額が掲げられている。
日本・中国・沖縄の建造技術が合わさり独創的な組み合わせで沖縄を代表する建造物のひとつである。 - 情報引用元
- 那覇市教育委員会文化財課(2007)『那覇市の文化財』那覇市教育委員会