観光スポット

波上

史跡歴史

波上(ナンミン)は、人々から信仰の場として崇められ、景勝地としても親しまれて来た。

基本情報

フリガナ
ナンミン
所在地
900-0031 沖縄県那覇市若狭1-26-3 付近
営業時間
特になし
休日
特になし
料金
無料
駐車場
なし
アクセス
ゆいレール県庁前駅から車で約5分

付随情報

学術的詳細
文化財(市指定史跡)指定年月日:平成18年10月10日
波上(ナンミン)は、人々から信仰の場として崇められ、景勝地としても親しまれて来た。海に突き出した琉球石灰岩の崖には、沖縄貝塚後期から歴史時代初期の墓所である「波上洞穴遺跡」が立地し、波上宮社殿造営工事の際には、沖縄貝塚時代後期並びに14~16世紀の遺跡が確認されている。『おもろさうし』(1531~1623年)にも謡われ、波上宮が立地する以前から信仰の場であったことをうかがわせる陽石や石垣の存在が認められている。『琉球神道記』(17世紀)、『琉球国由来記』(1713年)などに波上宮(祭神は、伊弉冉尊(いざなぎのみこと)・事解男尊(ことさかのおのみこと)・速玉男尊(はやたまおのみこと))の縁起が記載されており、護国寺(本尊は、阿弥陀如来・薬師如来・先手観世音菩薩)とともに人々の崇敬を集め、王府の行事にも位置付けられる重要な場所だった。また、景勝地としての波上は、1633(崇禎6)年に尚清王の冊封正使として来琉した杜三策(とさんさく)の従客だった胡靖が著した『杜天使冊封琉球真奇観(とてんしさっぽうりゅうきゅうしんきかん)』をはじめ、たびたび冊封使録に登場している。18世紀の中葉、当地を訪れた冊封正使周煌(しゅうこう)が著した『琉球国志略』(1757年)に掲載されている「球陽八景」の一つとして、「筍崖夕照(じゅんがいせきしょう)」と題して描かれ、名高い景勝地だったことがわかる。また、琉歌には、
「でかよう思童波之(ママ)上にのぼせて  月見し遊ば十五夜だいもの」
「昔波之(ママ)上に無蔵とながめたる  面影や今も月に見ゆさ」
などと詠われ、そこが月の景勝地であるとともに、逢瀬の場所であったこともわかる。第2次世界大戦により、波上は戦災を受け、わずかに鳥居を残すのみになった。戦後、波上宮、護国寺は再建されたが、周囲の海岸線も、埋め立てが急速に進められ、往時の姿を失いつつある。
情報引用元
那覇市教育委員会文化財課(2007)『那覇市の文化財』那覇市教育委員会