(玉陵)玉陵墓室石牆
世界遺産伝統工芸史跡
玉陵は第二尚氏の歴代国王の墓で、尚真(しょうしん)王が見上森(みあげもり)に葬られていた父尚円王を移葬するために築いた。墓前広場に建つ「玉陵碑(たまどぅんひ)」には、そこに葬られるべき人を限定したことが刻まれている。
基本情報
- フリガナ
- タマウドゥンボシツセキショウ
- 所在地
- 903-0815 沖縄県那覇市首里金城町1-3
- 電話番号
- 098-885-2861 玉陵管理事務所
- 営業時間
- 観覧時間:9時~18時
(入場締切 17時30分) - 休日
- なし
- 料金
- 観覧料金:
大人300円(団体240円)
子供150円(団体120円)※中学生以下。
保護者が同伴する小学校未就学児は無料。 - 駐車場
- なし
- アクセス
- 首里城公園レストセンター道向かい。
首里城公園内を走る寒川通りを首里城前交差点より西向け約150m左手。 - URL
- http://www.city.naha.okinawa.jp/kakuka/kyouikubunkazai/bunkazai/
付随情報
- 学術的詳細
- 文化財(国指定建造物)指定年月日:昭和47年5月15日
玉陵は第二尚氏の歴代国王の墓で、尚真(しょうしん)王が見上森(みあげもり)に葬られていた父尚円王を移葬するために築いた。墓前広場に建つ「玉陵碑(たまどぅんひ)」には、そこに葬られるべき人を限定したことが刻まれている。
歴史書『琉球国由来記(りゅうきゅうこくゆらいき)』は、「玉陵碑」が建立された1501(弘治14)年を玉陵の創建年としている。陵の面積は2,442平方メートルで、構造は建造当時の板葺(いたぶ)きの宮殿をかたちどり、墓室前には当時の首里城正殿前の石欄を思わせる鳥獣花等を彫った石欄が取り付けられている。陵は切妻屋根型(きりづまやねがた)の3つの墓室が東西に連なり、墓の庭は南北2つに仕切られ、周りは高い石垣で囲まれている。各墓室の入口には、石の扉が取り付けられている。もとは石扉を閉めたあと錠をかけ、さらに入口を切石で塞ぎ、全面漆喰で塗り固められるようになっていた。中央の墓室は遺骸を葬る。何年か経て次の葬送(そうそう)の際に洗骨し、王・王妃・世子・世子妃は東室に、ほかは西室に移葬した。王の側室や幼くして亡くなった王子、王女を葬る墓は、玉陵とは別の首里山川町にある山川陵と首里儀保町西森(ニシムイ)にあった宝口陵(戦災消失)でした。沖縄戦が始まった1945(昭和20)年8月、山川陵を日本軍が使用することになり、同陵内の遺骨は仮に玉陵の墓前の庭に移され、戦後さらに西室に移された。玉陵は沖縄戦で破壊されたが、1974(昭和49)年から3年あまりの歳月をかけ修復された。
一口メモ
『琉球国由来記』
1713(康熙52)年11月の成立。王府時代の最大の体系的地誌。琉球古来の祭祀に詳しいのが特色で、琉球の伝統的な社会を理解するための最も基本的な文献。全21巻からなり、巻一王城の公式行事、巻二官職制度、巻三・四諸事の由来、巻五王城と首里の御嶽・祭祀、巻六玉陵、巻七泊村由来記、巻八那覇由来記、巻九唐栄(久米村)旧記、巻十寺院、巻十一権現社、巻十二〜二十一に他の地域の御嶽と祭祀を収めている。 - 情報引用元
- 那覇市教育委員会文化財課(2007)『那覇市の文化財』那覇市教育委員会