新修美栄橋碑
歴史
昔の那覇はいくつかの小島から成り、浮島と呼ばれていた。そのため首里との交通の便が悪く、尚金福(しょうきんぷく)王は冊封使を迎えるため、1452(景泰3)年、国相(こくしょう)の懐機(かいき)に命じ、安里からイベガマ(現松山1丁目付近)までの約1kmに長虹提(ちょうこうてい)という海中道路を築かせた。その安里から牧志の間には3つの橋が架けられたといわれ、美栄橋はそのひとつ。
基本情報
- フリガナ
- シンシュウミエバシヒ
- 所在地
- 900-0013 沖縄県那覇市牧志1-951 付近
- 電話番号
- 098-917-3501 那覇市文化財課
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- なし
- アクセス
- ゆいレール美栄駅下車徒歩1分
付随情報
- 学術的詳細
- 文化財(市指定美術工芸品)指定年月日:昭和52年4月8日
昔の那覇はいくつかの小島から成り、浮島と呼ばれていた。そのため首里との交通の便が悪く、尚金福(しょうきんぷく)王は冊封使を迎えるため、1452(景泰3)年、国相の懐機(かいき)に命じ、安里からイベガマ(現松山1丁目付近)までの約1kmに長虹提(ちょうこうてい)という海中道路を築かせた。その安里から牧志の間には3つの橋が架けられたといわれ、美栄橋はそのひとつ。那覇が発展していくに従い、川が浅くなり美栄橋も狭くなったため、川をさらい、橋も架け替えることになり、1735(雍正13)年10月8日から、翌年2月6日まで工事が行われた。その様子を記してあるのが、新修美栄橋碑で、正義大 夫楊大荘(せいぎだいふようたいそう)が文を作り、都通事 楊文彬(とうつじようぶんひん)がこれを書いた。
美栄橋は1892(明治25)年に改修されましたが沖縄戦で破壊され、碑だけは原型を止め民家に保管されていたのを現在地に移してある。 - 情報引用元
- 那覇市教育委員会文化財課(2007)『那覇市の文化財』那覇市教育委員会