万歳嶺跡(観音堂内)
歴史神社仏閣
万歳嶺(俗称「上(ウィー)ナチジナームイ」)は首里台地の西端に位置する丘のことで、かつては松が生い茂り、頂上から美しい眺望が開けていたため、「万歳嶺夕照」と詠われた首里八景の一つであった。
基本情報
- フリガナ
- バンザイレイアト
- 所在地
- 903-0825 沖縄県那覇市首里山川町3-1首里観音堂内
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- なし
- アクセス
- 都ホテル前バス停より徒歩2分 慈眼院正面門内側
付随情報
- 学術的詳細
- 万歳嶺(俗称「上(ウィー)ナチジナームイ」)は首里台地の西端に位置する丘のことで、かつては松が生い茂り、頂上から美しい眺望が開けていたため、「万歳嶺夕照」と詠われた首里八景の一つであった。時の国王尚真(しょうしん)がこの地に遊覧した際、王の治世、国の繁栄を祝う万歳の声がわきおこったことから、1497年、丘の頂上に「万歳嶺記(ばんざいれいき)」の碑を建立し、この丘を「万歳嶺」と称した。
1617年、後に国王となる尚豊(しょうほう)が国質(人質)として薩摩に赴いた際、父尚久(しょうきゅう)は息子の無事な帰国を祈願。同年尚豊が無事帰国したので、翌1618年、尚久は万歳嶺の南斜面に千手観音像を奉じ、観音堂と慈眼院を建立した。その後、観音堂は旅の航海安全を祈る場所として人々の信仰を集めていたが、1945年の沖縄戦で焼失、「万歳嶺記」の碑も破壊された。戦後、万歳嶺の頂上付近を削り、観音堂が新たに建てられ、「万歳嶺記」の碑も、残った一部を台座に組み込み、復元されている。なお、万歳嶺に対し、その西方に連なる小高い丘は「官松嶺」(俗称「下(シム)ナチジナームイ」)と呼ばれていた。 - 情報引用元
- 那覇市歴史博物館