真珠道跡
史跡
首里城内にある「眞珠湊碑文(まだまみなとひもん)」によると真珠道の建設と真玉橋の架橋に関する記述があり、一般庶民の交通と軍用道路の目的を持った官道として着工されたものであり、第二尚氏王朝、尚真王により着手され、次の王となった尚清王の時代に那覇港まで開通した。
当時の順路としては、首里城を起点として、金城坂(首里金城石畳道)、識名坂(シチナンダビラ)、国場を通り、真玉橋、豊見城城、宇栄原、田原、垣花、屋良座森城(ヤガザムイグスク)を結ぶ、南回りの街道で、有事の際には南部方面の軍勢がこの道を通り、海洋からの外敵に備えるといったものである。
時代背景として13世紀から16世紀に朝鮮半島や中国大陸沿岸で活動していた「倭寇」と呼ばれる海賊が外海からの脅威であり、中国をはじめとする外国との窓口となっていた那覇港周辺は琉球王府にとって重要な拠点で、防衛のための軍用路を必要とした事に始まると考えられる。
現在は沖縄戦の被害や、後の開発もあり、真珠道の名残はあまり多く残されていないが、その沿線上に多くの史跡や歴史的要所があり、「真珠道」にちなんだツアー多数が開催され、県内外の多くの琉球史ファンを魅了し続けている。
基本情報
- フリガナ
- まだまみちあと
- 所在地
- 903-0815 沖縄県那覇市首里金城町1丁目32 付近
- 営業時間
- 特になし
- 休日
- 特になし
- 料金
- 無料
- 駐車場
- 道向かいに首里城公園の駐車場有(有料)。
- アクセス
- 「首里城公園レストセンター」に続く首里城公園の入り口向かい。